戦後史で最低限抑えておきたいポイントのみまとめてみた ~アメリカ史編~
はじめに
僕は国際感覚を養うためには、歴史から学ぶことが大切だと考えている。
国際感覚とはどのようなものか。なぜ国際感覚を学んだ方が良いのだろうか。最近あらゆる未来予測の本や、世界情勢の本を読み、日本の現状で共通しているは、世界から大きく遅れてきていると言う点だ。国際感覚が欠如していると日本では生活できるかもしれないが、この先の未来において自由を謳歌することはできないだろう。
今の日本の現状を見る限り、経済においても衰退の一路であり、国の借金を見てもシステムは既に破綻していると言っても過言ではない。そもそも日本は島国であり統一民族であることからも、他国と比べ、新しい文化や思想を取り入れ、変化することを拒む国民性もあり、多様性は育ちにくい環境であると言える。
しかしこの先日本は世界で最も進んだ超高齢化社会、少子化社会であることから、近い将来移民を受け入れざるおえない。移民を受け入れるとなるとアジアの他の国の人々と仕事を奪い合うことになる。この時に英語を習得しており、様々な国で生活できるぐらいの能力があれば生きていくことが容易となるが、国際感覚が欠如してれば、苦労することになるだろう。
ぼくは国際感覚を身につけることは今後世界で生きていく上で必須のスキルだと考えている。かくいうぼくも、旅行はハワイ、シンガポール、香港ぐらいにしか行ったことはないから今のうちに、語学を習得したり、他国の勉強をしたりと備えておこうと考えている。
グローバル感覚を身につけるために、実際に旅行したり、住んでみたりと経験するのが一番良いと思うが、その国の文化や歴史を知っておくと更に楽しめるだろう。本や動画などで歴史を学び、実際に旅行でその国を感じることでグローバル感覚は研ぎ澄まされるだろう。
今回戦後史を学ぶことは、国際感覚を養うことと、教養を身につける上で大きな利益となると考えたため、まとめてみようと思う。戦後の冷戦から現在までは学校の教科書ではあまり詳しく学ばないことが多く、現在の世界情勢を理解する上で抑えておく重要な点である。
- はじめに
- 戦後史の大きな流れ
- 冷戦前夜
- 勝者の世界分割ヤルタ会談は険悪ムードだった 1945年
- 戦後アメリカ史
- 「トルーマン」 1945~1953 「朝鮮戦争」
- 「アイゼンハウアー」1953~1961 「スプートニク・ショック」
- 「ケネディ」1961~1963 「キューバ危機」
- 「ジョンソン」1963~1969 「ヴェトナム戦争」
- 「ニクソン」1969~1974 「ニクソン・ショック」「ウォータゲー ト事件」
- 「フォード」1974~1977
- 「カーター」1977~1981 「ソ連アフガニスタン侵攻」
- 「レーガン」1981~1989 「プラザ合意」
- 「ジョージ・H・W・ブッシュ」1989~1993 「湾岸戦争」
- 「クリントン」1993~2003 「インターネット」
- 「ジョージ・W・ブッシュ」2001~2009 「9・11」「イラク戦争」
- 「オバマ」2009~2017 「オバマケア」
- 「トランプ」2017~
戦後史の大きな流れ
1939ー1945年 World War Ⅱ (第二次世界大戦)
1950年 Korean War (朝鮮戦争)
1957年 スプートニク・ショック
1962年 キューバ危機
1960年代 ヴェトナム戦争(アメリカが実践部隊を派遣)
1971年 ニクソン・ショック
1985年 プラザ合意
1990年 湾岸戦争
1992年 インターネット
2001年 9・11
2010年 オバマケア
冷戦前夜
冷戦とは米国とソ連の長期にわたる対立のことである。言い換えると資本主義VS共産主義の対立である。
冷戦は1946~1991年まで続いた。冷戦の基本の構図が作られたのは第二次世界大戦のさなかである。
第二次世界大戦とはまとめると、連合国VSファシズムの戦いである。
連合国はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連。
ファシズム国家は日、独、イタリア。
第二次世界対戦では、資本家と労働者(共産主義者)は共に協力して、ファシズムと戦った。
つまり、共産主義と地主の戦争であり、資本主義国が少しだけ共産側を助けた戦争ということである。
勝者の世界分割ヤルタ会談は険悪ムードだった 1945年
勝利は目前という状況で、ヤルタ会談が行われた。ヤルタ会談に参加したのは、写真左から、イギリス・チャーチル、アメリカ・ルーズベルト、ソ連・スターリン。会談の目的は勝者の世界分割のためだ。テーブルに広げられた世界地図を勝者達は囲んだ。ファシズムの支配地域に線を引き、それぞれの分け前を決めていく。
しかし空気は重かった。勝利の世界分割であるのに。
ドイツとソ連との戦闘が行われた東部戦線では両国は3000万人近い死者数を出していた。
莫大な被害を受けていたソ連は、同じ連合国であるアメリカ、イギリスに救援を要請した。
「アメリカ、イギリスはドイツの西側に第二戦線を作り、ドイツを後ろから攻撃してほしい」と。
しかし同胞のはずのアメリカ、イギリスはなかなか救援に向かおうとしない。
確かにアメリカは日本と太平洋で戦っていた。
しかしイギリスはただ傍観しているだけであった。
イギリスの狙いは、ファシズムと共産主義が共倒れになれば良いと考え、高みの見物をしていた。
度重なる救援要請にやっと答えたのが、ノルマンディー上陸作戦だった。しかしその作戦も無理をしなかった。
結局、独ソ線が始まってから、ヒトラー首相官邸に突入するまで4年も戦いは続いた。
このような経緯があったためヤルタ会談は険悪ムードの中始まったのである。
戦後アメリカ史
戦後のアメリカ大統領(任期)とメインの歴史についてまとめてみる。
「トルーマン」 1945~1953 「朝鮮戦争」
World War Ⅱが終わると、朝鮮半島は2つに分割された。北部はソ連、南部はアメリカが占領した。
1950年6月、北朝鮮は南朝鮮に侵攻し、首都ソウルを占領した。
トルーマン大統領はこの侵攻に対して、独立国家を乗っ取ろうとする共産主義運動の一環だと宣言した。
アメリカ軍はソウル付近に上陸し、激しい戦闘の末、首都ソウルを奪還した。
アメリカ軍が北朝鮮を中国国境付近まで押しやると、今度は共産国、中国が参戦した。
アメリカ軍を指揮していたダグラス・マッカーサーは中国を攻撃したかった。しかしトルーマンはこれを許可しなかった。
新たな世界大戦の恐れがあったからだ。
朝鮮戦争は、1953年に休戦に至る。
「アイゼンハウアー」1953~1961 「スプートニク・ショック」
アイゼンハウアーは軍隊の使用を嫌い、平和主義者であった。「朝鮮戦争休戦」を公約に掲げ、公約通り実現させた。
1953年は平和主義者のアイゼンハウアー就任と、ソ連のトップであるスターリンの死が重なり、冷戦の緊張が緩和していく時期である。
1957年ソ連は人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した。
これがスプートニク・ショックだ。
人工衛星の開発がアメリカにとってショックだったのは、人工衛星の打ち上げ技術と、核ミサイル打ち上げ技術が全く同じであること。
つまりソ連はいつでもアメリカに核ミサイルを打ち込めるようになった。
アメリカにとっては脅威以外の何物でもない。
「ケネディ」1961~1963 「キューバ危機」
アメリカ、ソ連が核戦争ギリギリのところまでせめぎ合い13日間世界は戦慄した。
1962年10月ソ連がキューバにミサイル基地を設置したことをアメリカ政府が知った。
ソ連は強気だった。なぜなら1961年の前年にガガーリンの有人宇宙飛行を成功させていたからだ。これは正確なミサイル(ICBN)の開発成功であり、軍事的優位に立っていたためである。
しかしケネディは怯まなかった。
世界に向け、キューバのミサイル基地撤去と、これ以上のミサイル搬入は実力を持って阻止すると発表した。
キューバの沖合にはアメリカ軍が展開。
ソ連のミサイル搬入船も接近してくる。
緊張が高まり、一発触発の状態だったが、折れたのはソ連フルシチョフの方だった。
このキューバ危機により核戦争が現実になると感じた両国は歩み寄る事となった。
「ジョンソン」1963~1969 「ヴェトナム戦争」
アメリカは1960年代にヴェトナムでの長期にわたる残酷な戦争に深入りすることなる。
1954年にフランスがヴェトナムから撤退後、共産主義の北ヴェトナムは非共産主義の南ヴェトナムへゲリラ攻撃を仕掛けた。
この時(ケネディ大統領時代)アメリカは南ヴェトナムに軍事「顧問団」を派遣し、戦争に関与を始めたのだ。
ケネディ暗殺後、ジョンソンはアメリカの支援を強化した。
なぜならジョンソンらは、南ヴェトナムが共産主義者の手に落ちれば、東アジアの国が1つづつ共産主義者の物になる「ドミノ理論」を信じていたからだ。
しかしアメリカはヴェトナムにとうとう勝つことができなかった。
敗因はマスコミの発達により、茶の間に戦争の様子が流されたことで、徐々に反戦運動が高まったことだ。
1973年1月パリ協定によって、休戦となり、3月アメリカ軍が撤退した。
1975年南ヴェトナム政府が崩壊し、北ヴェトナムがこの国を支配した。
この戦争ではアメリカ人の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患い、暴力、自殺、薬物乱用に走った。
アメリカ人にとって、ヴェトナムの経験は政府への信頼と自国の誇りを損なうものとなった。
「ニクソン」1969~1974 「ニクソン・ショック」「ウォータゲー ト事件」
ニクソン時代の一番大きな変化は、国際通貨体制の変化だろう。
「フォード」1974~1977
フォードは目立った政策はなし
「カーター」1977~1981 「ソ連アフガニスタン侵攻」
ニクソンがウォータゲート事件で汚職したこともあり、清純派のカーターが当選した。
カーターは中東戦争の仲介もした。
中東の情勢が不安定になれば、油の価格が上がりかねないからだ。
1978年カーターは大統領の別荘キャンプ=デービッドにイスラエルとエジプトの代表を呼び出して、平和条約への前提となるキャンプ=デービット合意を取り付けた。
「レーガン」1981~1989 「プラザ合意」
レーガンは1980年の大統領選挙で圧勝した。新冷戦時代に突入し、「強いアメリカ」を掲げるレーガンを国民は選んだ。レーガンは個人主義、自助上昇志向の価値観を訴えた。
ソ連に対して「悪の帝国」と烙印を押し、当時スターウォーズがヒットしていた。
これはヴェトナム戦争によって物資を日本から調達していたこと、日本車を輸入していたことによる貿易赤字である。
企業も収益を上げていないし、失業率も11%と高くなっていった。
この時期アメリカは借金の無限ループの中にいた。
しかしそれでも日本に儲けさせた方が良いと考えていた。なぜなら80年代前半は新冷戦時代であり、日本の共産化を防ごうと考えていたからである。
1985年事実上冷戦が終わり、日本を儲けさせる必要がなくなった。
アメリカはプラザ合意を行い、円高ドル安への誘導を行った。
これによってバブル崩壊へと繋がっていく。
「ジョージ・H・W・ブッシュ」1989~1993 「湾岸戦争」
「クリントン」1993~2003 「インターネット」
「ジョージ・W・ブッシュ」2001~2009 「9・11」「イラク戦争」
「オバマ」2009~2017 「オバマケア」
「トランプ」2017~